串本の祭は、2月に行われる大島の「水門祭」を除き、ほとんどが大漁、豊作を願う「秋祭り」です。近年、一部地域を除き参加者などの関係で、10月の第二土曜、日曜に行われるようになり、10月の3連休に串本へお越し頂くと町内あちこちで祭や獅子舞奉納に出会うことができます。ほとんどの地区の祭が獅子舞奉納を中心としたもので、御輿の渡禦、櫂伝馬、火祭りなど地区毎に特色のあるものも組み込まれており、南紀のお祭りを楽しむことができます。
南紀の旅はスローライフが一番!ゆっくり泊まりがけで、歴史のある素朴な串本の祭をのんびり観て回るのも旅の楽しみです。
紀州の人は人情豊か!きっと串本のお祭りが好きになると思いますよ。 |
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■水 門 祭 みなとまつり
▽無形民俗文化財
場所:串本町大島 水門神社

宵宮:2月10日 本祭:2月11日
見所:早朝のお的・稚児行列・櫂伝馬・獅子舞奉納
水門神社<みなとじんじゃ>の祭神は誉田別命<ほむたわけのみこと>(応神天皇)。神功皇后<じんぐうこうごう>が三韓遠征した後、一族の皇子らが反乱を起こします。これに対し、宰相・武内宿禰<たけのうちのすくね>は皇后の御子・誉田別命を擁して南海に船を浮かべ、大島沖にある通夜嶋に上陸しますが、このとき大島浦の住民が船を仕立てて奉迎したのがこの祭りの由来であると伝えられています。
お的<まと>、大座<おおざ>、渡御<とぎょ>、ツル(稚児行列)などの神儀のほかに、櫂伝馬競漕<かいでんまきょうそう>、鏡取り、屋台練り、餅投げ、獅子舞等、多彩な行事が終日くりひろげられます。
毎年2月11日に行われ、春を呼ぶ南紀の祭りとしても有名です。
「串本町大島地区の獅子舞」
昔から、大島の獅子舞は「オン獅子」だと言われていますが、その起源については、余り判っていません。
ただ言えることは、近郷の獅子舞と同じ、古座獅子であることは明白で、串本町の獅子舞の記録によると「安永八年(西暦1779年)串本の若い衆、升屋宇兵衛宅を宿に、古座から獅子舞の師匠を雇い稽古始める。」と言う書簡があり、当時の大島浦の経済的な力から、あまり変わらない時期に始まっていることは間違いありません。 |
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■「潮崎本之宮神社」秋の例祭
場所:串本町串本 潮崎本之宮神社

宵宮:10月8日 本祭:10月9日 地下舞わし:10月10日
見所:宵宮の宮登り・獅子舞奉納・地下舞わし
東、西、南、北、の四支部から奉納される獅子舞が、中心的役割をつとめる祭りです。
宵宮は、午後6時、各支部の屋台集合のサイレンを合図に宵宮が始まる。威勢の良い笛太鼓にあわせ、町内銀座通りに四支部の「屋台」と各支部の「高張り提灯」、総代達、獅子舞会の若衆達が集合すると、7時半頃、祭り一番の見物である、神社までの「宮登り道中」が始まります。
列の順番は、「当番組」先頭に、各支部が高張り提灯に先導され、道中囃子にあわせ「屋台」が練り歩きます。沿道の観衆からも歓声と合いの手が入り、祭り気分も盛り上がると「屋台」同士がぶつかり合い、つぶし合いとなります。
「公方通り」と呼ばれる無量寺から浜へ通じる道を進んで来た行列は、公方通りと銀座通りの交差点で、時間をかけて練った後、頭の合図で屋台を頭上高く持ち上げ、100kgの屋台を手で支えます。
上手く支え挙げれば観衆から拍手喝采、バランスを崩し観客や担ぎ手の頭上に倒れてくる事もあります。
「串本町串本地区の獅子舞」
ここの獅子舞は古座獅子を習ったと言われており、串本町の獅子舞の記録によると「安永八年(西暦1779年)串本の若い衆、升屋宇兵衛宅を宿に、古座から獅子舞の師匠を雇い稽古始める。」と言う書簡があり、200年以上も前から伝承されてきた獅子舞です。
宵宮の晩に本之宮での獅子舞奉納は、東西南北各地区が毎年持ち回りで勤め、境内で舞のすべてを奉納します。
昔は、一つの屋台で各地区1年ごとの持ち回り制を取っていたそうですが、現在は東西南北各地区2台ずつの屋台を持ち、地下回しでは、町内8台が廻ることになります。
町内に大きな新興住宅地が開発されたのにともない、住人は自分の出身の地区の屋台と獅子舞を呼ぶことが多く、この住宅内は祭当日、東西南北の屋台が行き交います。
舞は、現在「弊の舞」「神宮の舞」「神明賛」「花掛かり」「乱獅子」「寝獅子(天狗)」「剣の舞」「扇の手」があり、「玉獅子」が現在残されていません。 |
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■「朝貴神社」秋の例祭
場所:串本町出雲 朝貴神社

宵宮:10月8日 本祭:10月9日
見所:宵宮の宮登り・獅子舞奉納・地下舞わし
「串本町出雲地区の獅子舞」
舞は「弊の舞」「剣の舞」「神明讃」「神宮の舞」「乱獅子」「寝獅子」「天狗」「花掛かり」となっています。
その他、「ピッピ」と呼ばれるものがあり、これは簡単に舞わすことを言っているそうです。
屋台は「流れ造り」のお社を載せ、締太鼓は右付けになっており、6〜8人ほどで担ぎます。
呼び出しに後、舞までに2回廻るのはあまり他では見かけない珍しいものと思います。
ここの獅子舞も古座から習ったと言われており、獅子は雌獅子
※地区内に氏神様があり、その祭を執行していながら、近隣の神社の祭礼に参加することを「出祭り」と言ったそうで、紀伊大島の大島浦などと共に、ある年代には「潮崎本之宮」の祭礼に参加していたようです。
そのため、獅子舞は串本地区と非常に似たところが多く、交流の後を忍ばせます。 |
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■「潮御埼神社」秋の例祭
場所:串本町潮岬 潮御崎神社

宵宮:10月8日 本祭:10月9日
見所:宵宮の宮登り・獅子舞奉納・高松寺での奉納
宵宮の夕刻、公民館を出発し潮御崎神社へ到着後、獅子舞を奉納する。夕闇の中子供たちが持つ竿灯を先頭に、道中笛に合わせて屋台が参拝する姿は一味違う雰囲気を醸し出します。
本祭当日、公民館を出発し潮御崎神社で獅子舞奉納後、地下舞わしを行いますが、午後2時過ぎに一旦、高松寺に入った獅子舞を、氏子観衆や「あばれ子組」と呼ばれる、その年の当番組以外の祭関係者がめいめい突飛な出で立ちで境内に集まり、獅子舞の邪魔や気勢を上げて祭を盛り上げます。
「潮岬地区の獅子舞」
潮岬の獅子舞は、古座の獅子舞によく似ていると言われる。潮岬に伝わる獅子舞は、その昔古座浦の河内神社奉納の舞の流を受け、古座の師匠たちを迎え教えを受け継いで来たものである。
獅子は牡獅子で舞の動作は荒く、笛太鼓の音色は高い調子です。
舞は幣之舞、シングル舞(神宮之舞)神明讃、乱獅子、花掛かり、扇之舞、天狗之舞です。 |
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■「有田神社」秋の例祭
場所:串本町有田 有田神社

宵宮:10月13日 本祭:10月14日
見所:宵宮の潮見・本宮の獅子舞奉納・御輿渡禦・舟歌
「祭礼行事」
14日(宵宮)は、境内や御旅所の飾り付けなど行い、夕刻より「御輿かき」が神社前の川で禊ぎをし、御輿、傘鉾を社殿に飾る。
午後7時、宮司を中心に幟、傘鉾などの行列が笛太鼓の曲に合わせて賑々しく「潮見」に出る。
途中、「大幟」と「獅子」の出迎えを受け、「御船唄(松くどき)」の奉納を受け、浜にて「潮見」を行う。
浜で「獅子舞」の奉納を受け、神社に帰り「宵宮祭」を執行。「御船唄」と「獅子舞」の奉納を受け、宵宮神事を終了する。
15日(本祭)は、午前10時から「神前式」、「玉串奉奠(たまぐしほうてん)」後、「御船唄(八島くどき)」と「獅子舞」の奉納があり、「御輿かき」はお神酒と力餅をいただく。(以前は、小さな里芋の葉でお神酒をいただいたと言う記録もある)
神前式が済むと、午前11時から渡御である。
「御輿」を中心に「威儀物」を捧持した行列が、「御船唄組」、「獅子連中」を従えて華やかに渡御にでる。道中は、「幟さし」と威勢良くもみ合いながら御旅所へと向かう。
「串本町有田地区の獅子舞」
獅子舞は「古座流」で、メン獅子と言われています。
締太鼓は右側に付き、屋台は「しし」の左に置きます。「お社は流れ造」
演目は「幣之舞い」「神宮之舞い」「扇之舞い」「剣之舞い」「天狗」「乱獅子」など、近郷の獅子舞と同じです。天狗は特徴的で面は被らず、化粧をし口ひげを描きます。
有田「獅子連中」の「乱獅子」は、流れるような躍動感溢れる動きで、魅了します。
一旦、「かばち」を、左下に落とし、静の状態から、突如として右手前方に伸びる「かばち」は、じっと潜んでいた獅子が、獲物に飛びつくような錯覚さえ憶えます。 |
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■樫野「雷公神社」の例祭
場所:串本町樫野 雷公神社(なるかみじんじゃ)

紀伊続風土記では「鳴神明神」とあります。祭神は本殿に「五十猛命(いそたけるのみこと)」を、合祀されている八幡神社には「誉田別命(ほんだわけのみこと)」を、蛭子神社には「事代主命(ことしろぬしのみこと)」を祀り、「大島村史」には、「当社は古くより須江、樫野両浦の産土神(うぶすながみ)であり、明治三十年頃までは大島より毎年9月9日の例祭に、酒と魚を献納する習慣があったと書かれています。明治45年に三社を合祀し現在に至っています。
雷公神社の例祭」
昔は、旧暦の9月8日から9日に行われていましたが、近年になって10月8日が宵宮、9日を本祭として行われています。
「樫野地区」
宵宮:10月8日 本祭:10月9日
8日の夜半、手に手に苦竹で作った松明を手に、雷公神社に二十人ほどの若者が「詣るぞ〜」と叫びながら走ります。雷公神社に詣った若者達は、今度は「詣ったぞ〜」と叫びながら「大竜寺」まで帰ってきます。この時、お寺では故事に習い「磯魚」と「菜」を供え、これを「走り詣り」(地元ではなまって「走りまい」と言います。この後、お寺で獅子舞を奉納し、宵宮の主な行事は終了します。翌、9日は午前9時頃から「ご祈祷」があり、樫野地区の獅子舞が境内で奉納されます。その後、「地下舞わし(じげまわし)」と言われる、地区内の主な家や、祭り委員の家、新築の「屋固め」を廻ります。
まわる家が多い場合は、翌、10日も「地下舞わし」を行い、夜に「座払い(ざばらい)」と言う打ち上げのような宴席を設け終了します。
「須江地区」
宵宮:10月8日 本祭:10月9日
宵宮の夕刻、浜須賀会館を出て「地下の浜」へ向かう「屋台(やたい)」は、「道中笛」と言う笛の音に合わせて、ゆるりゆるりと坂道を降りていきます。
昔し、浜に出た屋台は「浜笛」と言われる、独特の優雅な笛の音にあわせて「地下の浜」を進み、笛の最後の一節で、「よ〜い、よいっ・・」とかけ声をかけ、屋台を持ち上げたそうです。
浜に降りた一行は、浜で「潮」をいただき身を清め、漁業組合下の広場に設けられた「お座」に着きます。
その後、神棚の前で獅子舞が奉納され、宵宮の行事を終了します。
須江地区は、この宵宮に全ての舞を奉納するため、3時間近くかかり、屋台が会館に戻ってくるのが夜11時頃となります。
翌日は、樫野地区、「雷公神社」へ出かけ、ご祈祷を受け、「地下舞わし」を行います。なお、須江地区の獅子舞は、「雷公神社」境内では奉納されません。 |
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■田並「天満宮」秋の例祭
場所:串本町田並 天満宮

宵宮:9月22日 本祭:9月23日
見所:本祭御輿渡禦・獅子舞奉納
宵宮では天満宮で獅子舞奉納、翌朝、御輿渡禦が早朝から天満宮を出発し、浜へと進みます。海中へ入り潮を頂いた御輿に、幟差しが御輿の上陸を阻みます。このときの海中での荒々しいやりとりは迫力があり、海中神事の珍しさとで年々見物が増えています。その後、獅子舞の奉納、地下回しと進みます。 |
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■「和深八幡神社」秋の例祭
場所:串本町和深 八幡神社

宵宮:10月8日 本祭:10月9日
見所:宵宮の獅子舞奉納・地下舞わし
主祭神「品陀和気尊(ほんだわけのみこと)」
八幡神社は、慶長9年(1604年)以前から存在し、江戸時代は社名を「八幡宮」と呼ばれていました。
「串本町和深地区の獅子舞」
和深の獅子舞は、昔は、和深7地区からそれぞれ屋台が集まったそうですが、現在は上地と下地の2地区だけの屋台で、獅子舞奉納は和深全体の合同で奉納されています。
舞は、「弊の舞」「神供舞(しんぐるまい)」「神明讃」「剣の舞」「乱獅子」「花掛かり」「寝獅子」「天狗」と」なっています。
特徴的なのが衣装で、弊の舞や乱獅子、剣の舞は男物の衣装で舞わし、神供舞、神明讃の二丁扇は女性用の浴衣を着て舞わします。特に神明讃は帯もきっちりと締め、舞いは25分近くもつづくもので、しなもきっちりと継承され見る者を魅了し、天狗が出てくる寝獅子よりも人気を集めています。 |
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■「富士橋神社」秋の例祭
場所:串本町くじの川 富士橋神社

宵宮:10月8日 本祭:10月9日
見所:宵宮の宮登り・獅子舞奉納・地下舞わし
祭神は「誉田別命」で、地元では八幡さんの名で親しまれています。明治に「1村1社令」により、大日神社、稲荷神社、弁天神社、蛭子神社を合祀し現在に至っています。
宵宮:午後7時に橋杭会館(倶楽部)を出発した屋台は、遠く離れた「くじの川」の神社へと宮上がりをします。宮では「提灯」だけの暗闇で獅子舞を奉納しますが、古き良き昔ながらの風情を残しています。
※人家の少ないくじの川に神社があるのは、昔、大穀倉地帯であったくじの川に神社ができ、時代の流れとともに、海沿いの橋杭へと住居が移っていった事のようです。
本祭:午前8時に会館を出発した一行は宮へと上り、ご祈祷の後獅子舞を奉納し、地下回しを行います。木立に覆われた神社で静かに舞わされる獅子舞に、伝えられた頃の雰囲気が残されているような感じを受けます。
「串本町橋杭、くじの川地区の獅子舞」
古座の古田より伝わる獅子舞と言われており、獅子は雌獅子、たてがみは「和紙」を細かく短冊状にしたもの。
屋台は「流れ造り」で締太鼓は右側に付けてあり、基本的には前後二人で担ぐようです。
舞は、弊の舞、神宮の舞、剣の舞、神明賛、花掛かり、乱獅子、寝獅子、天狗となっており、玉獅子は残っていないそうです。
天狗は一人で舞わすが以前大人の天狗も存在したようです。 |
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